自粛!?除夜の鐘とバーベキューの違いは?伝統はいつでも正義なのか
2016年末に色々思った除夜の鐘自粛について。
伝統と新しいことと正しいことと迷惑なこと、その線引きって一体何?
最近こんな感じのニュースをよく見かけます。
うるさいから除夜の鐘を自粛したり、夜ではなく日中にやってしまうといった記事。
除夜の鐘うるさい!→人でなし!!
「除夜の鐘うるさい」には、 「夜中の鐘自体の音がうるさい」と「来ている人間の声がうるさかったり、マナーがなっていないことへの不満」があるんだと思います。
後者に関しては頷かざるを得ないとこもあるかもしれないけど、鐘の音がうるさいとか、1日ぐらい我慢できないのかと思うのも本音。
昔から伝統として行われて来た大事な文化が、「うるさい」というつまらない理由によって無くなっていくことは非常に残念。
現代人ってどうしてこんなにわがままで歪んでしまったんですかね。
人でなし!と叫びたくなる…
除夜の鐘、よく考えたらバーベキューと変わらない?
でも、よくよく考えてみると、その考え方っておかしくないですか?
除夜の鐘=「うるさい、汚い、危険、治安が悪くなるからやめる」
これって、河原でのバーベキューも一緒じゃないですか?
大音量を流すから、騒いでうるさいから、ゴミを置いていくから…
様々な理由で、バーベキューや花火禁止の場所は多いですよね。
もしこれから、世の中の若者全員が静かに、ゴミもちゃんと持ち帰る、火の始末も完璧にするようなバーベキューを行なったところで、バーベキュー禁止の場所はきっと減らないでしょう。
この事実に関して、バーベキューをしたい若者は文句を言うでしょう。
でも、多くの大人は、「騒ぎたいだけの若者が文句を言っている」で片付けてしまうのではないでしょうか。
では、バーベキューと除夜の鐘の違いは一体なんなのでしょうか?
もちろんバーベキューは日や時間を問わず行われるのに対して、除夜の鐘は12月31日から1月1日にかけての数時間です。
しかし、除夜の鐘自粛に対しての多くの人の反論は「伝統行事なのに!」ではないでしょうか。
伝統行事って一体なんなのでしょうか。
バーベキューだって、1000年後には古くから行われている夏の風物詩になるはずなのに。
昔から行われていることに対しては、「伝統が〜」みたいなわかりやすくも、実はよく考えて見るとめちゃくちゃ意味不明な理由で自粛側の意見を批判するのってちょっとおかしくないですか?
「伝統」という言葉を笠に着れば、なんでも正義になってしまうことに疑問を持ちませんか?
この件に関して、こうしたらいいとか、こう考えるべきだ、みたいなことは何一つ言えないんだけど、一つ私が決めていることは、
除夜の鐘やめろ!という人たちに批判的な目を向けるのを、私はやめるということです。