しおりんの恋愛のこと。心において置くことと好きはきっと違う
なんでこのブログを始めたのか。
その一番大きな原因となったことについて。
私はほとんど人を好きになることがありません。
え!俺に好きって言ったじゃん!あれ何!という人がこの世界にたくさんいると思うんだけど、私の好きはほぼ挨拶みたいなもんです。
多分前世はイタリア人だと思います。
もちろんその時は本気で言っている「好き」もありますよ!
ただ、最近になって思ったことは、私が本気だと思っている「好き」は、多分本物の「好き」ではないということ。
「好き」というより、「今心の中に置いているのはあなたです」くらいなニュアンス。
正直その人と付き合いたいだとか、結婚したいだとかいう気持ちは皆無。
ただ、誰かにドキドキしていたいから、常に心の中に誰かを置くようにしているだけ。
そして、相手も好きと言ってくれたら、行きたい時にご飯に行って、嫌なことがあれば連絡して、今日こんなことがあったよって他愛のない会話をして、できるだけその人と一緒に眠りにつきたい。
それだけ。
そして大人になるとそういうことって比較的簡単にできてしまうんだよね。
でも、それはほとんどの場合長続きしなくて、後味の悪さだけが残ってしまう。
やめようやめようと思っているのだけれど、強すぎる承認欲求のせいで、これが全くやめられない。
尊敬しているよ、君が好きだよ、ずっと一緒にいたい…
そういうつまらない言葉をかけられただけで、自分を認めてくれるこの人を失いたくないなって思って、「好き」と勘違いしちゃうんだよね。
そうして一旦は通じ合った気がしたのに、なんだかうまく行かなくてやっぱりやめようってなっちゃう。
そんな時私は、その人に認められなくなっただけでなくて、その人が過去に付き合ってきた何人もの女性に負けてしまったという気持ちになって、1つの恋が終わると、一気に数十人から、お前は人としてダメだって言われている気がして、本当に落ち込む。
ただし、これもタチが悪くて、落ち込みは3日くらいで終了して、その1週間後にはまた同じことを別の人と繰り返して、また落ち込んでいたりする。
これはもう病気のレベルなんではないかって気がしてくるけど、仕方ないよね。
そんなこんなで、数日前にそういう落ち込みがあって、思うことがたくさんあったからブログを始めようと思ったのだけど、いざ書くとなると、正直その人の表情や声をほとんど思い出せなくなっていることに気づいて、このブログ始めた意味!
ってなってるんだけど、まあ、また2週間後くらいに同じ気持ちになった時に吐き出す場所として持っておけばいっかって感じだね。
ただ、私はこの人のこと以外はブログに書くつもりがないから、やっぱりこのブログは意味のないものになってしまうかも。
その人が、過去に大切だった女性のことをブログに綴っているのに感化されて、私も書こうって思っただけだから。
そんな感じです。
終わり。?続く?