私がおもちゃ屋さんを愛する理由
先日好きだった人からクリスマスプレゼントをもらったわけだけど、なぜかおもちゃを買ってもらいました。
銀座にいた私たちがなぜおもちゃ屋さんに入ったのか。
その理由をなんとなく思い出したので書いてみる。
私はおもちゃ屋さんがとても好きだ。
パズルやなんやらかんやら、いろんなおもちゃをいじっては大騒ぎしている。
多分だけれど、そんな時の私の目は、子供みたいにキラキラしているんだろう。
なぜそんな大人になったのか、最近これが理由ではないかと思えることを思い出したので書いておく。
小さい頃、父は珍しいおもちゃが大好きで、たくさんの高級なおもちゃを私に買い与えた。
いくつかは子供の私のお気に召さなかったようで、見向きもされなかったものもあるようだけれど。
そんなおもちゃの中に、おばあちゃんからもらったアンパンマンのおもちゃがあった。
大きな薄いシート状で、50音が書かれている。
押すと「あ」「い」「う」…とかって、アンパンマンが喋ってくれる。
クイズもあって、「『あ』を押してね。」
とか言われる。
すかさず私が「あ」を押すと、「よ〜くできたね!」とアンパンマンが褒めてくれる。
私はこのおもちゃが不思議でならなかった。
このおもちゃのレベルの低い問題を私は間違えたことがなかったし、当たり前のようにできることをアンパンマンに褒められても何も嬉しくないからだ。
3歳くらいの時にもらったものだと思うのだけれど、とにかく楽しみ方がわからない。
ただ、家にいてもやることがないし、ルーティーンワークのように毎日そのおもちゃでの遊びをこなしていた。
それから私は非常に大人に気を使う子供で、おばあちゃんがせっかくくれたおもちゃに見向きもしないのは、どうかと思っていた。
し、そういう私を見て、あのおもちゃは気に入らなかったみたいね、でもおばあちゃんには内緒にしておきましょうね。
みたいなことを思っているであろう両親の顔を見るのが嫌いだった。
だから私は半ば義務のようにそのアンパンマンの謎のおもちゃで遊んでいた。
しかし、これが不思議なもので、毎日やっていると習慣になってしまうのか、やらずにはいられなくなってしまう。
ジェットコースターが怖くて乗りたくないというのに、乗り終わると、またあの恐怖が来ることは分かっているのに乗りたくなるように、
臭いものの匂いはなんとなく何回もかいでみたくなるように、
面白くないと分かっていても、なんとなくやらずにはいられなくなってしまう。
そうして、やっぱり面白くないや
なんて思いながらも、私はアンパンマンに「よ〜くできたね」なんて褒められ続けるのだ。
もしかしたら、承認欲求や自己顕示欲の強い私は、褒められることに強烈な快感を覚えていたのかもしれない。
そして、褒められても、当たり前でしょってドヤ顔をする自分が好きだったのかもしれない。
そんなこんなで、今日は木馬に乗っておくか、たまには作ったブロックのレイアウトを変えてみるか
みたいに、まるで仕事をこなすようにおもちゃと対峙する3歳の私がそこにはいた。
まあ、子供の仕事は遊ぶことなので、非常に正しく自分の役割をこなしていたと言われると、もしかしたらこれこそがあるべき姿なのかもしれないとも思うのだけれど。
それから大人になった今、私はおもちゃが大好きだ
(大人のという意味ではなく。あ、大人のも嫌いと言えば嘘になります)
今は、どんなつまらなさそうなおもちゃを見ても、どうやって遊ぶんだろう、とやたらといじくりまわしてしまうのだ。
そうして、反動のような形で、大人になった私は、おもちゃ屋さんが大好きになったのだ。
そういうお話です。